| JA1MDNの写真集 | 
    
    
      
      
        
          
            1.昭和30年 中学1年生時 
              ハム受験用の写真 | 
            氏 名    田中 勝夫 
                    アマチュア無線局呼び出し符号=JA1MDN 
            生年月日  昭和20年7月 
            住所     〒371-0805群馬県 前橋市南町 
            SUB住所  〒371-0831群馬県 前橋市小相木町 
            家族     妻+次男と同居   長男 別居 
            学歴     "前橋工業高校"+"群馬大学工学部"卒業 
             
            小学入学前に疫痢にかかって、生死をさまよう。 
            その影響で体が弱かったので、外で友達と遊ぶことが苦手になり、 
            兄が上京して残していった道具や部品を使い、小学2年生よりハンダごてを握り始める。 
            小学6年には、オールバンド・オールウェーブ高1中2受信機を独学で作る。 
            中学1年生時、ハムの免許を取得するが、自衛隊へ入隊した兄の学歴偏重の説諭の影響をうけ大学進学を目指して入試勉強に入る。 
            中学3年の夏期講習、冬季講習には自宅のある駒寄村より高崎の学文館まで18qを自転車で通学する。 
            しかし、願書提出時に普通高校を断念させられ、工業高校に変更される。 
            それではと、国立電波高等学校を受験するが失敗し、地元の工業高校へ入学する。 | 
           
          
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            2.昭和40年 
                   大学受験用 | 
            高校では、トランジスターを使用したSSB送信機や受信機を作る。 
            アマチュア無線局(JA1MDN)開局。 
            放課後のクラブ活動を大目に見てくれたので、殆ど毎日、学校で暗くなるまで実験や試作に没頭する。 
             又、電気科の科長が、学校の電気主任技術者だったので、学校内の配電設備の点検・保守をさせられ、交流100ボルトが手で触れられるようになった。 
             就職試験では、KDDを皮切りに、学科試験にはパスするが、面接で皆落ちる。 
            受験した回数は、学校始まって以来の記録をつくる 
            しかたなく科の先生のつたで、学校の隣の会社へ就職するが、入社直後に、大学卒との格差に愕然とし、予備校に飛び込む。 
             今まで電気関係以外の本は教室以外で開いた事がなかったので、予備校では、工学部志望なので、受験科目が、漢文古文を含む国語、数Vまでの数学、英語、物理・化学、日本史・世界史の5教科7科目もあり、高校ではまったく履修しない教科が多くあり、模擬試験に自分の勉強が追いつかずほとんど得点出来ずに入学試験を迎えることになる。この頃の入試は工業高校出身者に専門科目への振り替えは無く、普通高校出身者と同じ条件で選考される、勿論推薦入試などあるはずが無い。 
            群馬大学は、志望学科以外の合格でしたが、周りの意見を聞いて入学する。 | 
           
          
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            3.昭和43年頃 
               サクソフォン練習中 | 
            大学時代前半は、学力の遅れを取り戻す為に勉学に励む。特に語学(英語・ドイツ語)は皆赤点になり、同じ先生の授業を2度受け、クラスの人より2倍受講する。後半は社交性・協調性を身につける為に3学年より学寮に入り、ジャズバンドや社交ダンスに打ち込む。 
            就職試験では機器製造会社を選択し、試作・開発を希望したが、他学科卒業生へのその道はなく(皆営業職)、土壇場になり、生産会社に就職する。 | 
           
          
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            | 5.昭和53年前後の学園祭 | 
            私立高校に転職し、時間が有るので、高周波トランジスターやLSIを使い、試作・実験に暗くなるまで没頭する。 
             学園にオフィス・コンピュータが導入されると、コボル言語を使いメモリー不足に悩みながら高校入試処理プログラムを3ケ月間で作成する。 
             高校生の急増期にそなえ高校校舎増・改築に伴い学園側の現場代人に2年間にわたり勤める。 
            この工事は、建築本体は県内の共同企業体、電気工事、給排水設備工事の3つの対等な業者がおこなう工事となり、工事業者間の打ち合わせには、これら全ての知識・経験が必要とされる。 
             59年代よりパーソナル・コンピュータに移り8ビット機(Z80)では、人間アッセンブラー・レベルまで到達し、ゲームのコピー・ツールを作成する。その後、16ビット機に移り”BASIC言語、アッセンブラー言語”を使用しMS-DOS上のプログラムを開発する。 
             60年情報処理関係の教科が生まれ、ワープロの授業に携わる。 | 
           
          
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            | 6.研修旅行で受持ちクラス委員長と乾杯 | 
            平成3年、長男の私立大学入試失敗を契機に、専門学校に転職をする。 
            AutoCAD VisiualBASIC インターネットホームページ作成技術を担当する。 
            東京都特別区・OA研修講師、県内銀行協力会のインターネットセミナー講師等担当。 
            小、中学義務教育で学力別に層別されて、高校に進学し、更に加速・拡大され大学、短大、専門学校に振り分けられて来ている。 
             「消費は美徳・・・明日よりは今の生活を楽しむ・・・」に育った現在の学生には、我々の時代の物理的欠食学生は皆無だが、「学力・Sensible
            Emotion」 の欠けた学生が非常に多い。「Sensible Emotion」=「チップス先生さようなら」から引用。 
             友達はそこそこ、上下に広く(教師を含む)教えを求めることはしない、壁にぶち当たれば直ぐに引き返し、二度と挑戦しない。 
             自分はさておき、教師・相手には一流を求める。 
             誰でも人間は目立ちたい、見られたいの欲望の為、裕福な家庭では無いのに車は新車、身につける物はブランド品、友達との協調性が無く、皆、同じマンガ本を同時に買う。 
             この学力最下位の、「出し昆布の出し殻学生」と称される、彼らに、そこそこの資格・検定を取得させ、実社会での生活力を身に付けさせ、何よりも大切な自信を付けて送り出すのが、小生の仕事です。 
            ここにこそ、真の教育があると小生は思う。 
            学生に「見返りを求めない」を心情に日々かけずり、陣頭指揮で行動する。 
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            | 7.平成7年 倅卒業式、安田講堂にて妻と | 
           
          
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            8.平成10年 
               初めての海外旅行 
               タイのクアイガー鉄橋 | 
            平成9年早期退職する。 
            南町に土地110坪/建70坪の 2軒目の家を購入し、自らリフォーム開始する。 
            平成10年〜12年 無線機器メーカの修理・試作を受注(常勤) 
            平成12年〜13年 「SO*Y」の音響機器の修理を受注(週2日の非常勤) 
            平成13年〜小相木町の隣地購入し、95坪/建22坪の家になり、自らリフォーム開始する 
            平成13年5月 南町の家に転居する 
            平成13年9月 音響機器、無線機器の修理工房を開く。 
            平成15年12月 ドメイン(amp8.com=アンプ屋ドットコム)取得 
                    FLET'S ADSLモアU(24M)で自宅サーバー構築しました。 
            平成16年7月 ドメイン(amp8.net=アンプ屋ドットネット)取得し、 
                    ミラーサイト運用開始 
            平成16年12月 B−FLET’S・ベーシックにて(amp8.com=アンプ屋ドットコム)運用。 
            平成21年5月 ドメイン(amp8.org)取得。 
            平成23年1月 フレッツ 光ネクスト2回線にて(amp8.com=アンプ屋ドットコム)運用。 | 
           
          
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